看病の後に待っていた妻からの仕打ち
私と妻は幼馴染です。
家が隣同士で、中学に入る頃までは兄妹同然で育ちました。1つ年下の彼女に、淡い恋心を抱いたのは7~8歳くらいの頃かもしれません。今思えば、初恋の相手なのでしょう。
しかし、子供の恋心など適当なもので、妹のような存在だから愛おしかっただけなのかもしれません。中学に入れば、それなりに別の女子生徒に心が揺れ、告白をすることもなく高校生になりました。
高校を卒業する直前、私の両親は多額の借金を残して、突然亡くなりました―。
一人っ子の私は、どうして良いのか分からず途方に暮れ、親戚に言われるがままに土地と家を手放しましたが、借金を全て返せるだけの金額にはならず、それを知ると親戚たちも私から離れて行きました。その時、私に手を差し伸べてくれたのは、彼女の父親でした。
彼女の父親は危険を伴うものの、住み込みで働ける給与の良い仕事を紹介してくれ、保証人にもなってくれました。高校卒業後の進路は決まっていましたが、お金がないので辞退し、5年間がむしゃらに働き、無事に両親が残した借金を返済することができました。
その後、東京で就職することになった私は、彼女の父親の勧めで、彼女が通っている都内の大学の近くにアパートを借りました。その時も、彼女の父親が保証人になってくれました。
東京での再会した彼女の変化
東京での生活を始めて数日後、5年ぶりに彼女と再会しました。
少し見ない間に大人っぽくなっていて、その垢抜けた感じも「東京の女性」みたいでドキッとしたのですが、すぐに「大学の先輩と婚約している」と伝えられました。彼の話をする時は嬉しそうな表情をしていたことが印象に残っています。
それから度々会っていたのですが、私の仕事が忙しくなったこと、彼女も大学を卒業して社会人になったことなど、2人ともゆっくりできる時間がなくなったため、自然と会わなくなりました。
久しぶりに連絡をすると、連絡先も変わってしまったようで、電話は繋がりませんでした。
目撃したのは、それから4年後。
会社の健康診断で病院に行った時、腫れた顔で大きなマスクをしている彼女を見かけました。目以外は隠れた状態でしたが、背格好や雰囲気から、すぐに彼女だと分かり声を掛けると、話しかけられた彼女は、どこか怯えたような目で私を見てから、うつむき加減でマスクを外しました。
病院内にある食堂で詳しく話を聞くと、彼女は1年前から治療が困難な病気になり、移植が必要だと打ち明けてくれました。現在は薬で現状を維持するだけで、その薬の副作用で顔が腫れてしまっていると言います。
そのことが(病気のことか?顔が腫れていることか?は分かりませんが)原因で婚約は破棄されてしまったそうです。
何かできることはないだろうか。
初恋の相手でもあり、兄妹のように育った間柄でもあり、私が苦しい時に手を差し伸べてくれた恩人の娘でもあります。彼女が抱える痛みは、私の心もむしばんで、放っておくことはできませんでした。
他人と会うこともツラいだろうから…。
そう思って、ちょくちょく彼女の家に行くようにして、病院にも付き添うなど、できる範囲で力添えをしていました。
さらに不幸だったのは、その数ヶ月後に、私の人生の恩人でもある彼女の父親が倒れて、亡くなってしまいました。
どう生きて行けば良いのか分からない…。
父親が亡くなってから、彼女はますます塞ぎこむようになってしまい、放っておけない私は、初恋の人だったことを伝えて、プロポーズをしました。
急なプロポーズに彼女も戸惑っていましたが、気持ちを受け入れてもらい、翌年には結婚をしました。
妻の病気を治すために海外渡航も
結婚式は挙げませんでした。
腫れた顔で結婚式の写真が残ることを、妻が拒んだからです。入籍する時に2人で「まずは病気の治療に専念しよう」と話し合い、完治してから結婚式を挙げることに決めました。
妻の病気は移植しない限り、完治は難しい病気でした。
医師に話を聞く限り、海外での移植が最も現実的でしたが、いかんせん多額のお金が必要でした。少しばかりの貯金はありましたが、それではどうしようもなく、また金銭面で頼れる人もいなかったので、会社に相談して、仕事に穴を開けない条件で夜勤のバイトと週末のバイトを始めました。
肉体的には厳しかったのですが、妻のことを想うと頑張れました。
コロナ前の話ですが、夜勤で働いていたバイト先が海外で1年間働ける人を募集しており、日勤の仕事の給料と夜勤&週末のバイト代を足しても、そっちの方が高額だったため、それに飛びつきて仕事も辞めました。
長い目で物事を考えられないほど、私たちは早急にお金が必要でした。
妻には事情を説明して納得してもらい、1年間の海外生活が始まりました。言葉も伝わらない、食事も合わない、知り合いもいない、そんな生活は苦痛でしたが、妻のために乗り超え、長い1年を終えました。
少しだけ足りない手術費用は借金をして、妻は海外での移植手術を無事に受けることができました。
術後の経過は良好で、順調に回復し、腫れていた顔も昔のように綺麗に戻りました。これで結婚式を挙げられる!そう思っていた矢先、私にとっての悲劇が訪れました―。
妻から切り出された離婚
結婚式の準備に取り掛かろうと、私が張り切っていたのは、妻の病気が完治してから3ヶ月後のことです。
帰国後に就職をした会社で有給休暇を取り、2人でランチに出掛けていた時、いきなり妻が泣き出しました。
顔を隠さずに外を歩けるようになった喜び。
長い闘病生活から解放された安堵。
一緒に闘った私への感謝。
今まで抱えていたものが溢れたのかと思い、背中をさすっていると、妻は小さな声で「離婚をして欲しい」と言いました。
訳が分からない状況でした。頭の中が真っ白になり、言葉の意味を理解できませんでした。
妻が泣きやむのを待ち、「ゆっくりでいいから」と話を聞いてみると、妻は病気が完治し、顔の腫れもおさまった状態で、昔の婚約者であるUさんに逢いに行ったそうです。
逢うと当時の想いが込み上げて、どうしてもUさんと結婚したくなったと言います。
浮気ではありません。
Uさんには既に彼女がいて、妻は想いを打ち砕かれました。それでも妻はUさんを忘れられず、このまま私との結婚生活を続けられないと言いました。
私に対して、感謝の気持ちはあるけれど、そこに恋愛の気持ちはない、と私の目をまっすぐ見て、きっぱりと言い切りました。
そこまで言われると、彼女を縛り付けることはできません。
悲しさ、悔しさ、情けなさ…。
いろいろな気持ちでおかしくなりそうでしたが、離婚を受け入れることにし、初恋相手だった彼女との短い結婚生活は終わりました。
浮気をされたわけでもなく、さらに病気が治ったばかりで、お金に余裕のない妻から慰謝料を取るわけにもいかず、何も受け取らないままの離婚です。
結婚式を挙げていなかったことだけが唯一の救いだと思える日が、いつか必ず来ると信じています。