こんにちは。浮気探偵.com~浮気成敗コラム~です。
本日は「実録・妻の浮気」として、15年前の妻の浮気を許せずにいる夫の体験談をお伝えします。まずは、この体験談に登場する人物を紹介します。
<登場する人物>
・自分 当時30代後半、現在50歳
・妻 当時30代前半、現在40代半ば
・妻の浮気相手 H川
・息子 当時6歳、現在19歳(大学生)
目次
妻の浮気 セクハラ上司と妻の関係
大学を卒業して就職した後、仕事が忙しかったこともあって、異性と出会うチャンスがなく、結婚相手を見つけるために何度かお見合いをしました。
それでも、しっくりくる人と出会うことはなかなか難しく、何度目かのお見合いで、妻と初めて出会った時に「ビビッ!」と感じ、それはそれは驚きました。
妻も同じだったようで、お見合いでの会話は盛り上がり、次の約束もスムーズに進みました。
3度目のデートで、正式に結婚を前提に付き合うようになりました。
当時、妻は正社員で働いており、自分も長く正社員として働き、さらに何の趣味もなかったため、結婚と同時に二人の貯金を合わせてマイホームを購入することができました。もちろん、ローンですし、地方ですけど。
結婚後も、しばらくは共働きでした。
結婚2年目で妻が妊娠し、1年間の産休を取った後、運良く近所の保育園に入れることができたので、そのまま妻は復職しました。
自分としても、別に専業主婦になって欲しいとは思っておらず、妻が妻らしく生き、自分も家事を手伝うことで、うまく家庭内が回れば良いと思っていたので、反対はしませんでした。
その想いに応えるように、妻は仕事も家事もしっかりこなしてくれ、自分が家事で手伝えることは、ほとんどありませんでした。
週末は家族3人で過ごす、幸せな時間だったと思います。
海外赴任から戻ると妻の仕事に変化が!
ある時、仕事で海外赴任の辞令が出ました。同じ会社で働き続けた自分にようやく訪れた、またのないチャンスでした。
とは言え、幼い子供と妻を残して行くには気が引け、だからと言って、同じく順調にキャリアを積み重ねている妻に「一緒に来て欲しい」とは伝えにくく、「どうしようかと思っている」と迷っているような演技をしながら、それとなく伝えてみることにしました。
妻の返事は「行って来なさいよ」と背中を押してくれるものでした。
自分が仕事で抱えている想いを知っているからこそ、そう言ってくれたと思いますが、子供の今後のことを思うと共働きの方が経済的にも安心だから、妻自身が仕事を手放したくなかったのかもしれません。
双方が納得して、単身での海外赴任生活が始まりました。
赴任先は韓国で、日本での仕事の関係もあって3ヵ月に1度は戻って来ることができ、その際は久しぶりの家族との時間を過ごしました。
海外と言っても、韓国は距離的に近く、航空券代も安いので、誕生日や記念日など何かある時には自腹で帰って来ていました。
1年目、2年目、3年目、4年目…。
時が経つごとに韓国での生活は慣れる一方で、2~3ヵ月に1度だけしか会えない我が子の成長が凄まじく、ほとんど何も喋れなかった息子も、一丁前に生意気なことを言うようになっていました。
そして、5年間の海外赴任を終えて、無事に帰国。息子は6歳になりました。
帰国後は、以前と同じような生活が続き、平日は共働きで週末は家族団らん。しかし、少しだけ変わったことがありました。
それは、妻が仕事と家事を両立できなくなっていたことです。
仕事が忙しいのか、平日の夜も遅くなることが多く、自分の母が幼稚園まで息子を迎えに行くことも多々ありました。
レトルトやスーパーで購入した惣菜が食卓に並ぶ日が増え、それでも5年間、息子を預けっぱなしにして海外赴任をしていた自分は、咎めることができずにいました。
息子と散歩中に浮気の現場を目撃
1~2ヶ月、そんな生活が続いた後、妻が仕事を理由に週末も出掛けるようになりました。
家族で過ごす唯一の時間なのに…。言うつもりはなかったのに、ぽろっと口から言葉が出てしまい、それでも妻は嫌な顔をせず「ごめんね。今が一番忙しい時期なの」と言うだけでした。
妻は妻で5年もの間、自分がいない時間を息子と過ごして来ました。
今よりも手が掛かる年齢だったと思うし、妻の実家は遠いため、お義母さんに頼ることもできず、姑である自分の母にも気軽には相談できなったことでしょう。
「そっか。頑張って」
そうは言ったものの、仕事の割には化粧が念入りで、洋服も少し派手に感じました。
翌週の土曜も妻は「仕事」と言って出掛けて行きました。妻が働く会社は自宅から、そう離れていなかったので、息子を連れて電車に乗り、会社近くの公園を散歩してみました。
すると、お昼を少し過ぎた時間に、会社から妻と男性が腕を組んで出て来る瞬間を目撃しました。
他にも出社している人がいれば、こんなマネはできないはずです。
怒りがこみ上げ、後を追って問い詰めようかと思いましたが、公園で遊んでいる息子を置いて行くわけにも、ましてや連れて行くわけにもいかず、気持ちを抑えて帰宅をしました。
抗議のために妻の会社へ
その夜、息子が寝てから妻を問い詰めました。
人違いと言われないように、時間や歩いて行った方向も正確に話しました。
妻は目に涙を浮かべながら「上司に関係を迫られた。断れば会社での立場があやうくなってしまうので、従うしかなかった」と言いました。
間違いなくセクハラかつパワハラです。
妻は上司から干されないために、応じるしかなかったのでしょう。
翌日、妻とはいつも通りに接し、何事も無かったかのように努めました。
休みの日にセクハラ上司のことを思い出すのは、妻自身も辛いだろう…。
そう思っていた自分がバカでした。
月曜日、いつもの通りに自宅を出てから、妻の会社へ乗り込みました。
もし、これが原因で妻が会社を辞めることになっても、自分の給料で養うことはできます。
しかし、どうしても妻に謝罪をしてもらいたくて、妻の名前を言い、上司の男性を呼び出してもらいました。
応接室に通された自分の前に現れた上司と名乗る男性は、土曜に目撃した男性とは全く違う人でした。
「他の上司です。妻がセクハラを受けています!」と、その男性に訴えると、上司は他にいないと言われました。
「そんなはずはありません。毎週のように休日出勤も命令されているし、残業だって23時過ぎまで拘束されているんですよ」と、なおも抗議すると、その上司は「断じてありません。ウチは休日出勤も残業も禁止です」と否定しました。
困惑しているところに、一人の男性が応接室に現れました。
こいつだ!!
そう思った瞬間に、上司が「どうした?H川くん」と声を掛け、セクハラ男の名前が分かりました。H川は「あの…旦那さんが来ていると聞いたので」と口ごもりながら答えました。
上司が彼にセクハラのことや休日出勤の強制を問い詰めると、彼は首を横に振り、純粋な恋愛関係(不倫関係)にあることを告白しました。
聞けば妻との関係は、私が海外赴任に行ったすぐ後から始まったそうです。
それまでは、息子が眠った夜遅くに、私たちの家で会っていたけれど、海外赴任から戻ったせいで会えなくなり、私に見つからないように会社を密会現場にしていたと言います。
私が怒鳴る前に、上司が大声で怒鳴りました。
ただ、それは私を想ってのことではなく、休日に誰も来ないことを逆手にとって、会社をそんな場所に使っていたことへの怒りでした。
セキュリティがどうのこうの、と激しく怒鳴りながら、しばらく彼をなじっていました。
それからすぐ、妻とH川は会社を退社しました。
妻とは離婚前提の仮面夫婦
妻は、自身の愚かな行為が恥ずかしかったのか、それともH川という男に申し訳なかったのか、あるいは私の行動に対して腹を立てていたのか、私とは口を利きませんでした。
私も妻に対して失望し、話す気も起きませんでした。
息子がいたので、息子が自立するまでは夫婦関係を続けるものの、記入済みの離婚届けは私が管理し、離婚をする場合は私が親権を持ち、面会はさせないと誓約書も作成しました。
それが妻やH川に慰謝料を請求しない条件でした。
また、財産についても今後は全て別々にし、子供に必要な分は自分が負担するけれど、妻の生活に必要な分については一切出さないことにしました。
妻は新しくパートを始め、仕事と家事、育児を両立するようになりました。
また、週末に出掛けるなど、浮気の兆候も見られませんでした。私は許す気さえ毛頭ありませんでしたが、子供の前では妻にも話しかけ、妻もそれに応じる形で、不自然ながらも会話はありました。
15年が経ち、現在
私は自宅からは飛行機と電車で4時間以上かかる場所で単身赴任をしています。
息子は大学生になり、大学の寮で暮らしています。アルバイトもしており、ほぼほぼ自立しているようなものなので、単身赴任から一時的に戻った際、管理していた離婚届と貯金の半分を置いて来ました。
「息子も家を出たし、離婚しよう。これからはお互い自由だ」
しかし、妻は離婚に応じず、子供も自立したので一緒に単身赴任先に行きたいと言われました。
意外でした。
あれから夫婦での会話はなく、他の男性の影があってもおかしくないのに、一緒に赴任先で暮らしたいなんて…。想像していなかった答えなので、どうしたら良いか分からず、返事は保留にしています。
夫婦としては完全に終わっています。やり直す気もありません。
でも、正直なところ迷っています。
私もとっくに50を過ぎて新しく誰かと出会うなんてことがあるとは思えないし、だからと言って妻と良好な関係に戻れるとも思っていません。
一人が良いのか、それとも冷え切った間柄でも二人が良いのか、結論は出せないままです。