こんばんは。
浮気探偵.com編集部です。
前回の「新宿・渋谷バラバラ殺人事件」に続いて、今回も浮気が招いてしまった恐ろしい事件をお伝えします。
この事件では2人の幼い子供の命が奪われてしまいました。
浮気が招いた事件:日野OL不倫放火殺人事件(1993年・東京)
1993年12月14日、東京都日野市の住宅で火災が発生しました。
出火した自宅だけではなく周辺の家屋も延焼する大きな火災で、焼け跡から自宅で就寝中だった当時6歳の女児と当時1歳の男児の遺体が発見されました。
この家の世帯主と見られる男性は、妻の運転で出社するために、最寄り駅へと向かっていて留守でした。
警察の捜査によって、被疑者として推定されたのは、子供を失った夫の不倫相手だった女性Aで、Aと夫の不倫関係は、事件が起きるより前に、妻にバレてしまったことで終了していました。
次第にAの気持ちは恋愛から怨恨へと変わり、二人の間にトラブルが起きます。
しかし、警察は有罪を獲得するために必要な証拠を確保できず、Aの逮捕に踏み切れずにいました。
翌年1994年2月6日、事件発生から、2ヶ月弱が経った頃、警察の捜査が身辺に及んでいることを察知したAは警察へ出頭し、逮捕。
放火をした日から出頭前日まで、Aは「変わらぬ様子で出勤していた」と言います。
▼事件の経緯
その後の供述で、Aは夫婦の子供にガソリンを散布して火を付けたことが判明しています。
目的は放火ではなく、子供の殺害です。
このような残酷な犯行を行ったAとは、どのような女性だったのでしょうか?
加害者Aは、東京都内で生まれ育ちました。小学校から大学まで成績優秀で、就職するまでは男性と付き合ったことのない真面目なタイプだと言われています。
就職先は、都内に本社を構える電機メーカーで、Aは府中の事業所に配属されました。被害者の夫と不倫関係に陥ったのは、その時です。
男性に妻子がいることは分かっていましたが、そのことを知ったうえで交際は始まり、男性の妻が流産したことで二人はますます親密になったと言います。
1991年8月、Aは男性を自宅へ招き、そこで肉体関係を持ちました。その後も、肉体関係が伴う不倫は続きましたが、翌1992年、男性の妻が妊娠し、Aは強い嫉妬を覚えました。
「私とは避妊をしながら性行為を行うのに、奥さんは避妊をすることなく妊娠ができるなんて」
Aは男性に対して避妊を拒否するようになり、同じ年の4月にAも妊娠をします。
この時、男性はAに対して虚偽の言葉を伝えました。
「いずれ妻とは離婚をして、一緒になるつもりだ。今はまだ離婚が成立していないので中絶をしてほしい」
この言葉を信じたAは中絶を行ったのですが、二度と中絶手術を受けたくなかったので、今後は避妊をするように伝えました。しかし、男性はその後の性行為でも避妊を拒否することが度々あったそうです。
一方、男性の妻は臨月に入り、出産のために第一子を連れて、両親の住む自宅へ帰省します。
その間、日野市にある夫婦の自宅では、夫とAが半ば同棲のような生活を送っていました。
ほどなくして、妻は第二子を出産し、夫婦へと帰宅すると同時に、Aとの同棲生活は解消されましたが、男性から言われた「来年、妻と離婚して結婚しよう」という言葉を信じて、待つことにしました。
その後、Aは2回目の妊娠をします。しかし、自らの意志で中絶を決意しました。
後に弁護士へ送った手紙によると「いずれ男性と結婚した時に、男性の2人の子供を引き取るため、中絶をした」と言います。
1993年5月18日、犯行の約7ヶ月前。
二人の不倫が妻に発覚し、妻は夫を激しく非難し「慰謝料を支払って私と別れるか、それともAと別れるか?」と選択を迫りました。
夫は不倫関係を清算することを伝え、その場でAに電話をします。
この電話で、Aは妻から再三に渡って罵倒され、さらに「私は子供を二人産んで育てている。でも、あなたは2回妊娠して、2回とも胎内から掻き出す女だ」と嘲笑されてしまい、この言葉が激しい憎悪を芽生えさせました。
私は中絶をしたのに…。私は子供を失ったのに…。
自責の念が男性と妻、さらには二人の子供への憎しみに転化し、あの夫婦にも子供を失う感情を体験させてやる!と復讐を決めました。
事件当日、Aは少し前までここで同棲をしていたため、男性の生活習慣を熟知していました。
通勤経路や通勤時間も把握しています。同棲をしていたときに作った玄関ドアの合い鍵を使って室内へと侵入し、寝ていた子供二人にガソリンを撒き、火を付けました。
▼裁判と判決
弁護人は犯罪的・暴力的・破壊的な性格など見当たらなかったAが、性欲の対象として弄ぶことしか考えない男性の虚言によって騙され、心と体を傷つけられたことが原因で、心神耗弱な状態だったと主張し、情状酌量による減刑を主張しました。
しかし、地裁・高裁・最高裁のいずれも、男性を人道的、道徳的、さらには倫理の観点から非難したものの、法的な観点で男性を問うことはできず、この事件の犯行の原因または責任は、Aの性格や感受性、考え方の短所や欠点が作用したものだとし、弁護人による減刑の主張は認定されず、2001年7月17日、最高裁は地裁の判決を維持し、検察の求刑どおり無期懲役刑が確定しました。
別途、子供を殺害されたことに関して、夫妻がAに損害賠償を求めた裁判も行われましたが、こちらはAの両親が夫妻に1,500万円を賠償金として支払い、さらにA本人が3,000万円の賠償金を支払うことで和解が成立しています。
<浮気探偵.com編集部より>
何の罪もない幼い子供の尊い命を奪ったAの犯罪は決して許されるものではありません。
しかし、Aが放火殺人を犯すまでの経緯が明らかになると、多くの非難はAを騙して性行為の対象として弄んだ男性へ集まりました。
また、当時のメディアの中には、Aが精神的に追い詰められて爆発するまで追い詰めた、として男性の妻を批判するものまであり、Aに対しては概ね同情的な報道や論評が繰り返されたようです。
受刑後、Aは雑誌にて手記を発表し、放火によって子供を焼殺したことや冥福を毎日のように祈願していると表明しましたが、一方で、不倫相手の男性に騙され、心と体を傷つけられた被害者であることを理解してほしいと訴えています。
この事件で、男性は勤務先を実質的に解雇されました。また、事件後、夫妻の間には新たに1男1女が生まれています。
大きな事件になる前に…。調査員の多くが警察OBの「はやぶさ探偵社」