実録・夫の浮気

【夫の浮気】娘の言葉で決意した離婚

娘

こんにちは。浮気探偵.com~浮気成敗コラム~です。本日は、中学生の娘さんの言葉で離婚を決めた妻の体験談をお伝えします。まずは登場人物の紹介です。

登場人物
・私 30代後半
・夫 30代後半
・夫の浮気相手
・娘 中学生
・義理の両親(夫の両親)

夫の浮気 ママと一緒に暮らす!娘が後押しした離婚

娘

夫と結婚したのは16年前です。

高校の同級生で、高校3年になってから付き合い始めました。2人とも高校を出て、すぐに就職したので、周りの同級生よりも結婚が早く、22歳の時には子供を授かりました。

都会の方では少ないようですが、私たちが住んでいる地域では、まだまだ両親と同居する人たちが多く、私たちも新居を建てるほどのお金がなかったので、夫の両親と同居していました。

夫には、両親の他にお姉さんがいますが、お姉さんは既に結婚して遠くに嫁いでおり、めったに会うことはありませんでした。

夫の実家は、自営業で洋服屋さんを営んでいます。町に一軒しかない洋服屋さんなので、昔は繁盛していたのかもしれませんが、今は隣接する市にユニクロやイオンができたので、町に一校だけある中学の制服とジャージくらいしか目立った売上はありません。

それでも、義理の父が町にある小さな商店たちが集まった組合?みたいな会の役員をしているので、わりとせわしなく動いていました。

洋服屋なのに、注文があれば配達までするため、嫁いで来てからの私は仕事が終わっても、自宅に帰ると店番をさせられたり、商品の袋に値札を貼ったり、いろいろと手伝わされました。

夫の帰りは遅いので、私ばかり手伝いをさせられて、平日は休んでいる暇なんてありませんでした。

娘が生まれてからも、その生活はほとんど変わりませんでした。ただでさえ都会と違って給料が安いので、夫婦共働きで頑張っても、なかなか貯金は貯まらず、同居している義母に娘をお願いして、産後すぐに職場復帰しました。

帰って来て、ようやく娘の顔が見れる…と思っても、やっぱり義父や義母が留守にすると、店番を押しつけられて、赤ちゃんをおんぶしながら、接客することもありました。まあ、そんなにお客さんは来ませんけど。

それでいて、夕飯の支度も私の役割だったので、夕飯の支度をしたり、娘の世話をしながら、お店に誰か来た気配がすると店に行き、心も身体も休まらない毎日でした。

不満がたまる日常生活

結婚してからは、旅行どころか外食もほとんどしていません。

娘が行きたがっているのに、義理の両親から「お店があるでしょ!」と言われて、ディズニーランドにもUSJにも連れて行けないまま、娘は中学生になりました。

小学校を卒業する時の文集で、他の子は親との想い出に「家族で東京に行った」とか「お父さんとJリーグの試合を観戦した」とか、それらしいことを書いているのに、うちの娘だけ「仮装して行った盆踊り」と書いていて、虚しくなりました。

仮装は、毎年恒例の地域の盆踊りで、「やってもやらなくても良いけど、やれば盛り上がるから、できる人だけでもしましょう」みたいな風習があります。洋服屋だから洋服だけには困らなくて、娘と私で阿佐ヶ谷姉妹みたいな服を着て、みんなにいじられました。

それを「恥ずかしい」じゃなくて「おいしい」「楽しい」と思える娘は、楽観的でプラス思考な夫に似ているのでしょう。

ともかく、娘がそれで良くても、私は不満でした。

夏休みや冬休みになると、娘の同級生たちは親と一緒に東京や大阪に行って、自慢話をするためにお土産まで買って来ます。

受け取るには受け取りますが、どこにも行かないので返せるものがありません。そうやって、私自身どんどん卑屈になって、気付けば義理の両親のことを大嫌いになっていました。

こんな店があるから、どこにも行けないし、仕事から帰っても休まらないし、入学式のシーズンだけ営業すれば良いのに!

ほとんど誰も来ないのに、夜8時まで開けている意味も分からないし、洋服屋なのにティッシュやトイレットペーパーなんて置いているから、隣の市まで行く足がない近所のお年寄りが、10円程度の利益にしかならない日用品を買いに来るし、そのせいで、どこにも行けないなんて…。ありえない!!

私は、夫に家業のことや義理の両親のことを愚痴るようになり、特にお店を手伝うことについては、何度も何度も「やりたくない」と強い口調で言いました。

直接、義理の両親に言ったこともありますが、2人とも私に対して口調が荒いと言うか、言うことが厳しいので(田舎なので嫁は格下に思われています)、不快になるだけで、根本的な問題の解決には至りません。

娘自身が洋服屋のことをどう思っているのか知りませんが、自分から店番をするし、近所のお年寄りと話すことも全く苦にならないようで、嫌がったり、恥ずかしがっている様子はありません。

残業代が出ていないことに驚愕

お金

私の不満を夫は常に流していました。

「そんなにお客さんは来ないし、来ても喫茶店みたく長居するわけじゃないだろ」「店番だって、母さんが配達に行っている時だけだろ」「家族経営なんだから協力してやれよ」

こんな感じのセリフを使いまわすだけです。

家業のことは付き合っている時から知っていたし、結婚前にお義母さんから「土日は店を閉めているけど、平日は仕事が終わって帰って来てから手伝ってもらうことがあると思う」とは聞いていました。

それでも、結婚したかった当初と、娘が生まれた今では、状況や考え方に違いがあります。

夫は、中学の入学式の前になると、長めの有給休暇を取って家業を手伝いますが、あとは基本的にノータッチです。平日は店が閉まる時間まで帰って来ないので、店番や配達もしません。

鬱憤が溜まりまくっているのに、それを分かってくれようともしない態度に腹が立って、徐々に夫に対しても不満が募っていきました。

そんな頃です。

キッチンのゴミ箱の中から、夫の給料明細を見つけました。付き合っている時から、夫の給料明細を一度も見たことがなく、そもそも興味がありませんでした。

私も働いているし、家賃は掛からないし、水道光熱費や食費、ガソリン代や車検代、保険関係は義理の両親が出しているし、自分の欲しいものは自分の働いたお金で買い、娘に掛かる費用やスマホ、ネトフリ、アマプラの料金などは夫から貰っていました。

毎月、決まった額を生活費として手渡されたり、お小遣い制にしたり、そんなことは一切なく、必要な時に必要な金額を夫に言って出してもらう感じでした。

だから貯金額も使っている銀行も知りません。

その日は「毎日残業しているんだから、かなり多いんだろうな」と何気なく給料明細を開いてみたのですが、残業代の欄が「0」と印字されていて驚愕しました。

夫の帰りは毎日、夜8時を過ぎています。定時は夕方5時なので、渋滞して通勤に時間が掛かっているとしても、2時間ちょっとは毎日残業しているはずです。

また、有休の取得日数も「1」と書かれており、先月は毎日出社していたはずなのに、どうなってんの??と、名前の欄を見返しました。

でも、そこに書かれていたのは、たしかに夫の名前で、間違いではありませんでした。

過去の給料明細がどこかにないか?と、夫のバッグの中やテレビ台の下を探してみましたが、見つかりませんでした。今月分もゴミ箱の中で見つけたくらいなので、毎月、チラッと見て捨てているのでしょう。

夫の言い訳は明らかな嘘

夫に残業代のことを聞くと「みなし残業」とか言うシステムらしく、私が働いている職場とは違い、あらかじめ給料の中に残業代が含まれている、と説明されました。

私の会社は1分単位で残業代が支給されるので「本当にそんなものがあるんだろうか」とネットで調べたら、本当にある制度でした。

これについては納得しました。もちろん、本当に「みなし残業」の制度を取り入れているか?は分かりませんが、そういうものがあって、だから残業代が「0」だと言われると納得するしかありません。

問題は有休の取得日数が「1」になっていることです。

それについては「会社に行く途中に具合が悪くなって急遽、休んだことがある」と言われました。「いつ?」と聞いても「覚えていない」と言われ、その時は「あ、そう」と引き下がりましたが、後になってから考えると、それなら私より早く帰っていた日があるはずです。

いつ具合が悪くなって休んだのか?は知りませんが、夫は毎日、8時を過ぎてから帰宅していました。

町内に中学校が1つしかないほどの狭い田舎です。夫と同じ会社に勤める人なんて、すぐに見つけることができます。ママ友に「〇〇に勤めている人、知らない?」と聞くと、あの子のパパもそうだし、あの子のママもそこで働いている、と名前を教えてもらいました。

その中の1人、娘と同じクラスのお母さんに電話をして、話を聞いてみました。いきなり聞くと驚かれるので「中学のジャージが入荷した」と電話をして「頼んでない」「あら、他の人と間違えました!」みたいな会話から始めました。

そんな話をしていたら、向こうから担任の先生の愚痴を言って来たので、真剣に聞いているフリをして、「先生たちって公務員でしょ?公務員って残業代出るの?出るなら、ちゃんとして欲しいよね~」と言った後で、「みなし残業なのかな」と振ると、「みなし残業って何?」と聞き返されました。

「え?会社の残業代ってどうなってる?ウチ、お財布が別だから知らなくて」と言うと、「タイムカードを打って15分単位で出ている。本当は1分単位で出さないと違法なのに悪い会社でしょ~」と言われて、夫の嘘が判明しました。

「全員?みなし残業の人って、いない?」と聞き返すと「全員。わたし、総務だから間違いない」と言われました。

夫は、定時にあがってから、どこで何をしているのでしょうか。パチンコとか(しているなんて聞いてことないけど)、ドライブとか(行くところなんてないけど)でしょうか。無趣味の人なので全く想像が付きません。

「ところで、引っ越したの?」

唐突に聞かれました。「え、なんで?」と聞くと、駅前にあるコーポ(アパート)の駐車場に夫の車が毎日停まっていると言われました。

「うちのコーポ、駐車場がいっぱいで、隣のコーポの駐車場を間借りしてるけど、旦那さんの車が停まってるから、近場に引っ越したのかな、と思って。ほら、旦那さんの車、個性的なナンバーだから忘れられない」

たしかに、夫の車のナンバーは同じ数字が4桁並んでいるので、一度見た人は忘れないはずです。

「ああ、あのコーポに友達がいるの」

動揺を悟られないように誤魔化すと「友達?あそこ、自動車工場が借りていて、4部屋中3部屋はインドネシアの人が2人ずつ住んでいるのに?たしか、残りの1部屋は通訳の女の人が住んでいるんだよね」と言われ、これ以上の嘘が思いつかなくなった私は「ごめん、お客さんが来たから、またね」と一方的に切ってしまいました。

夫の浮気相手は妻も知っている人

通訳

インドネシア、通訳、夫が通い詰めている人。

その3つのワードだけで、コーポに住んでいる人が分かりました。この町の人ではなく、私と同じ市の出身で、頭の良い高校を卒業した後は、東京の大学に進学して、インドネシア語を専攻していました。

ただ単に「同じ中学だったから知っている」のではなく、この人は夫の元カノで、高校2年まで付き合っていました。夫も彼女もテニス部で、高校1年生の時の大会で彼女が夫に一目惚れをして付き合い始めました。

高2の冬に「受験勉強に専念したい」と彼女の方から切り出して別れたのに、東京の大学に行った後もインドネシアに留学した後も、しつこく夫に連絡を入れていました。

夫は「とっくに別れて、今はただの友だち」と言っていましたが、私は当然ながら、いつまでも連絡を取り合っていることを面白く思っていませんでした。

それでも私たちは結婚し、彼女は得意のインドネシア語を活かして東京で活躍しているようなので、「どうせ会うことはないだろうし、放っておこう」と思っていました。

コロナがきっかけで東京から戻って来たのか、それとも別の理由か、私には分かりません。

でも、インドネシア語の通訳をしていて、こんな小さい町に住んで、そこに夫が通い詰めているなんて、あの人しか考えられません。

電話を切った後、居間でボーッとしていたら、自然と涙が出て来ました。

そこに娘が近寄って来て、突然「ママ、離婚しても良いからね。私はママと一緒に住むから」と言ってくれました。私からは何も言っていないのに、娘は父親の浮気を知っていたのでしょうか、それともタダ働きでコキ使われている私をずっと不憫に思っていたのでしょうか。

どういう意図で娘が離婚を後押ししてくれたのか、真相は分かりません。娘から優しい言葉をかけられた時も、娘の腕を掴んで泣くばかりで、何も言葉が出て来ませんでした。

娘に言われました。

「でも、ママ。名字が変わるのは高校に入るタイミングがいい。だから、あと少しだけ我慢して。そしたら2人で暮らそう」

夫は、絶対に浮気をしています。相手は私も知っている元カノです。それだけでも許せないのに、私は夫の実家の手伝いまでさせられて、夫はそれに無関心です。

私が自由を奪われている間に、夫は自由な恋愛を満喫しています。

娘の言葉で離婚を決心しました。この子が一緒ならやっていけます。

娘が中学を卒業するまで、あと10ヶ月ちょっと。浮気の証拠を集めながら、これまで以上に頑張って貯金をして、この家を出る準備を着々と進めて行きたいと思います。

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